最後のお酒

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「最後のお酒は何にしますか?」

 この言葉を聞いた、よろずカンパニーの打ち上げ三日前の新人宇宙飛行士は例外なくぎょっとする。
 目の前に出されたメニューは、この地球上で入手可能な、いわゆるお酒というものが書かれている。ビールにワインに日本酒にバーボンにウィスキーに、果てにはどこぞの民族につたわる密造酒まがいの発酵酒まである。
 そのメニューを宇宙飛行士たちに差し出しているのは、宇宙研に隣接する宇宙飛行センターのウエイトレスのお姉さんである。
 ちょっと悲しそうな表情をむりやり笑顔で隠そうとしている。
「あの、お酒はありがたいんだよね、でも『最後』はないでしょう」
 打ち上げが間近に迫っている宇宙飛行士は、言葉の表現法は違えでもその内容は「縁起でもない」という言葉を彼女に言い放つ。
 その言葉を聞くと、彼女は我慢していた表情を崩して泣き出した。
「だって、よろカンの人ってみんなお酒好きで、もしかしたら、もしかしたらですよ、もう飲めないようなことが起きるかもしれない仕事をしているのに、いつものように適当に飲んでほしくない。だから、すっごく言葉の選び方がみんなに悪いのは知っていますけど、けど、好きなお酒飲んで出かけていってほしいんです……」
 そういって泣き続ける彼女に、ベテランの宇宙飛行士は「まあまあ、君の気持ちはみんな知っているよ……」と言いながら慰めることになる。
 そんな光景を見ていた新人の宇宙飛行士は、今まで彼女が言ったことで怒ったことや打ち上げ直前で高まっていたよけいな感情を忘れて「還ってこよう」と自分の心と彼女の涙に誓うのである。

 実は、これは毎回有人飛行がある度に起きることで、新鳥島から飛び立った宇宙飛行士なら誰でも経験していることであった。
 宇宙飛行士たちは、この言葉を自分たちにとって不吉な言葉ととらえる者は誰もおらずにひとつの通過儀礼やセレモニーとして感じている。
 宇宙飛行士という仕事は、あまりにも長い間の準備とあまりにも短い本番と期待の大きすぎるものである。それを失敗や後悔の許されないプレッシャーと考える者や自分にしかできない選ばれた職業ととらえる者もいる。
 しかし、彼女の言葉と涙を知った後に、宇宙飛行士たちは「無事に還ってくること」が自分たちの一番の仕事だと、いや彼女の前に帰還の挨拶をすることと思うのである。
 それゆえ、「アルコールなんぞ3分あれば分解できる」(まさか3秒あればだいじょーぶ、いやいやマイコンの1クロックより早いぞ、とかのたまいながら、耐久実験でしょう、と飲み続ける『れんちゅー』よりはずっとましなせりふである)とか騒いでいるよろカンの宇宙飛行士たちでも、妙に神妙な顔をして自分の酒を頼んだりして打ち上げ3日前の夕食をするのである。
 そして、宇宙から還ってくると、医学検査を受け終わるなり彼女のところに行くのだ。
 みんなそうだった。

 彼女が、よろカンに入ったのは「衛星」が好きだからだそうだ。
 どこまでも遠くまでいける、いろいろなことを知ることができる、そしてその先にかならず「夢」がある。
 だから、そんな「衛星」を見ていると私もがんばらなくては、とそんな感情を覚えるのだそうだ。
 とにかく少しでも「衛星」に関われる職をさがしてさがして、今の仕事にたどりついた。もちろんここが終着駅ではなく、いつもはウエイトレスの仕事をしながら終業後は新鳥島総合大学で勉強をしている。
 結構こういう風に、なんらかの形で「宇宙」に関わろうとする人たちがよろカンには多い。だからという書き方は適当ではないが、縁の下の力持ちな仕事をしている人たちでも、「宇宙」関する各人のレベルは異常に高い、そして深い。
 彼女もそういう一人である。

 彼女が宇宙飛行士たちに与えた影響はこれだけではなかった。
 ある打ち上げの時である。
 彼女がしらばく新鳥島に姿を見せておらず、宇宙飛行士たちが「最後のお酒」を頼めない事態が発生した。
 新人の宇宙飛行士たちは、状況が分かっていないのでたいした影響は無かったのだが、すでに宇宙飛行を経験している宇宙飛行士たちは、打ち上げを延期するように宇宙研に申請してきた。
 もちろん、理由は「彼女の言葉」が聞けないからだ。
 騒動の初期のころは、打ち上げに関わっている人間たちでもめていた話が、いわゆる彼女を知っている宇宙飛行士までに広まると、大騒動に発展した。
 時間的に急ぎのミッションではないのだから、延期しても計画自体に影響はないとごねる当事者の宇宙飛行士たち、それを何とか予定通りのスケジュールでこなそうと説得を試みる打ち上げ関係者の職員。
 これは、打ち上げ間近の宇宙飛行士たちが待機・訓練する宇宙飛行センター内の話で穏やかだ。ところが、よろカン内に訓練中の宇宙飛行士たちは、宇宙飛行センター内の宇宙飛行士たちと連絡を取り合って、今回の打ち上げに関するあらゆる妨害作戦に出る者、百数名。また彼女を捜そうとあらゆる情報手段を駆使する者、数十名。また、『なぜ彼女が新鳥島にいないのか?』という疑問から発展して、ここによろカン宇宙計画に対する超国家的陰謀が存在すると十何年前のアクション映画まがいの行動を起こす者、十数名。
 よろカンの宇宙飛行士は、他の機関の宇宙飛行士に比べては、軍人という職種を経験した人間は少ないが存在しないわけではないので、彼らが本格的に動き出すと、その組織だった行動は見る者聞く者を圧倒させた。もちろん、よろカンのあらゆる業務も。

 この大騒動が三十六時間を経過した段階で、社長筆頭に事態の終結に動き出さざるを得ない状態までになっていた。
 あらゆる緊張状態におかれてしまった宇宙飛行センターに一人で入っていった社長は二時間の後、ひとつの課題を抱えて無事出てきた。
 その課題とは、彼女の安否の確認と早期の職場復帰、である。また、彼女が自分の意志に関わらず行動できないような状態におかれている場合は、宇宙飛行士たちで結成する有志たちの行動に制限をおかないことである。
 最初は、上記の条件はすべて宇宙飛行士たちの手で行うことあげられていたが、なにせ宇宙飛行士たちはそのような活動に従事したことがなく、あったとしてもそれは軍事行動を意味するので、とても承諾できる話ではなかった。
 そこで、社長は彼女の捜索にうってつけの人物を出すことで承諾と取り付けた。
 つまり、宇宙飛行士たちには行なったことがない行方不明者の捜索が出来て、かつドンパチの知識がある人間である。これには別にプロである必要はなく、ドンパチの必要があれば、その人物は“露払い”になってもらいあとは宇宙飛行士たち自身で行動する、と言うことである。
 そんな都合の良い人物は、社長の知る範囲で……たったひとりいた。
 まあ、人事関係のトップも勤めているんだから、今回の件に関して社外的(!?)にも適役であったのだ。また、社長自身はこちら側で話をまとめると、この課題が片づくまでいわゆる人質として宇宙飛行センターに戻ったのだ。
 そんなこんなで、社長が課題を抱えてきた一時間後には、その当人は超音速仕様といわれている自分のベル222に完全装備を乗り込む羽目になって北の空へと飛び立たされたのであった。
 本来なら、数名の宇宙飛行士たちも乗り込む予定であったが、「僕も彼女の涙を見た人間だよ。代表で行って来るから、出迎えの準備しておいて」と言い切ったそうである。

 それから三日後、北の空から帰ってきたベル222には、彼女が乗っていた。
 その日の夕食。宇宙飛行士たちは、やっぱり神妙な顔をしてお酒を飲んだ。
 以下、総務部長の報告。
 一日目、内地での彼女の立ち回り先と実家への報告。かすかな手がかりをつかむ。
 二日目、北海道に飛んで聞き込み調査の末、道南の様似の浜辺に向かった。
 三日目、飼っていた猫が最後の旅立ちをして途方に暮れている彼女を見つける。
 この間に起きた事件については、いずれ語られるであろう。
 それから数日後、宇宙飛行士たちは新鳥島から無事飛び立った。

 それからひとつだけ彼女と宇宙飛行士たちのエピソードを紹介しよう。
 よろカン独自での何回目かの月面着陸をめざして宇宙飛行士たちが飛び立って十数日後であった。
 場所は、新鳥島には似合わない鬱蒼とした森の中。
 新鳥島は、かろうじて亜熱帯の気候に分布する地域に存在するが、ここまで生い茂った森を有するほどの土地柄でも気候でもない。
 植樹してから数十年たつが、場所がよかったのか、森の周りを取り巻くの環境に悪かったのか、すでに百年以上前から存在するような雰囲気を持った森へと成長していた。
 この森の神社の建物があって、彼女の結婚式が執り行われていた。
 式は、この島に似合わないほど落ち着いたものだった。
 もっとも、振舞酒を飲める場所で騒ぎを起こしておこぼれにあずかれなくなるのを避けているだけ、ともいうけれど。

 つつがなく式は進行していき、いくつかのスピーチが終わったところで司会者がこう言った。
「このようにめでたい席にすばらしい人たちが駆けつけてくれました。みなさん、あちらをご覧ください」
 式場の入り口が大きく開かれた。
 スモークとともに姿を現したのは、ヘルメットを小脇に抱えた船外宇宙服を着た三人の宇宙飛行士だった。
 その姿を見るなり、彼女は思わず立ち上がってしまった。
 もちろん、式場にいる何十人かの人間も思わず我を疑った。
 その三人は、「月」へ行っているはずの宇宙飛行士だからだ。
 彼らは1週間ほど前に彼女に見送られて新鳥島を飛び立ち、すくなくともあと5日ほどは月で調査や実験を行っているはずである。
 式の参加者は“なぜ”の嵐に見舞われているのを知ってかしらずか、宇宙飛行士たちは彼女の前まで進み、立ち止まった。
 「せっかくのセレモニーだから、不眠不休で仕事をこなしてきました。……間に合ってよかった」
 船長が満面の笑みをうかべて彼女への“帰還”の報告をした。
 いつの間にかに、3人の月飛行を終えた宇宙飛行士の後ろには、よろカンの宇宙飛行士たちが並んでいた。全員彼女に見送られたことがある者ばかりだ。
 いつもと違う場所で、いつもと違う格好だけれども、彼女はいつものように心の底からの微笑をうかべてうんうんとうなずきながら、やっぱり泣きじゃくりながら言った。
「何を飲まれますか。……おかえりなさい!」


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